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『近江町の成立』
近江町という町がいつ頃成立したかはいまだに定かではない。
この町名を最初に見い出すのは本願寺第十世證如光教の手記「天文日記」中においてである。
天文十五年(1546)に一向宗がこの地に尾山御坊を建立し、以後三十数年にわたる加賀の支配のあった時代に尾山御坊を中心に御坊町・南町・後町・西町といった寺内町が成立したがその中に近江町の名が見受けられる。
その後、天成八年(1580)に佐久間盛政が織田信長の手勢として尾山御坊を陥し入れ、尾山城と名づけて居城としたとき、城下にいわゆる「尾山八町」がもうけられ堤町・南町・松原町・材木町・安江町・西町・金屋町とともに近江町の名も見うけられる。
しかし八町の中には、明らかに前田氏の入部以後できた町名も含まれているなど、その真実性に疑問は持たれるが、近江町が金沢の数ある町の中でも最も古い町のひとつであることは間違いない。
『町名の由来』
この町を近江町と呼ぶについては幾つかの説がある。
「金城深秘録」(別名金城古蹟志=四冊、文政八年後藤彦三郎和睦著)によれば昔弓師近江と云者、初めて此地に居住す、依って近江町と呼べリ。とあって弓師の近江という人がこの地に最初に住んだことから「近江町」と呼んだとする説がある。
この説には、近江町と境を接する武蔵辻の名称にまつわる伝説のひとつに矢師の武蔵という人がこの地に居住していたことからとする説にも似たところがあり、戦国の末期にふさわしくこのあたりに弓師や矢師が生業をたてていたことを想わせるのである。
また「稿本金沢市史」第三編には近江国の人来たりて尾山城下に居り此処に家屋を建て、商業を営みたり、故に近江町と呼ぶ。
とあり、どれをとるべきかについて確たる証を揚げることができないところである。 |
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